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第1回●八丁堀は「御役人衆」の町

 江戸・東京が本郷台地の切り崩しによる東京湾の埋め立てによって発展してきたことは周知の通りです。なにしろ、家康が江戸に入国したとき江戸城の眼前は一面の海。築地の地名は、築きあげられた土地。月島も語源的には同じで、むろん、新富・八丁堀もまた新開地ということになります。
 で、なぜ八丁堀?
 慶長17年(1612)、幕府は西国の諸大名に命じて通船の便利のため堀を開削させました。そのうちの一つが八丁堀です。海口より長さ8町(1町は60間、およそ109.91メートルなので、約880メートル)の堀であったことが地名の由来だと言われています。
 当初、この新港地には多くの寺が移り寺町を形成しましたが、やがて芝・浅草へ移転し、今度は町奉行・与力・同心の組屋敷がこの地に置かれるようになりました。俗に「八丁堀の旦那」とか「八丁堀御役人衆」と呼ばれ、八丁堀は彼らの代名詞となっていきます。藤田まこと演ずる必殺仕事人、中村主人の誕生です。



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