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第9回●「八丁堀の旦那」の役得?――その2

 時代ものの映画や小説にひんぱんに登場する武士たち。日頃なにげなく見過ごしているけど、いざ、どんな職掌、人数、暮らしぶりかというと、ほとんど何も知らないのですね。ちょっと調べてみました。「八丁堀の旦那」こと与力の“役得”については第2回で記したのですが、おやおや、昔も今もお役人はニギニギが好きなようで……。

 まず旗本。直参の武士で1万石未満、将軍に御目見得(おめみえ)がかなう家格が旗本で、約5200名。それ以外が御家人で約1万7000名、計2万2000名という数字がありました。(台東区の記録映画「札差」製作委員会
 ついで江戸の南北町奉行に所属する与力が50名で、石高は150石〜200石。同心は与力配下の下級役人で、約6700名。捕物帖で活躍する目明かしの親分たちは、この与力の非公式の部下になります。
 ところで、「八丁堀の旦那」は500坪くらいの拝領地を有し、分割して医師、絵師などに貸していたほか、何かと役得があったそうです。「与力・同心の役得」については佐久間長敬著『江戸町奉行事蹟問答』(新人物往来社)に詳しく載っているそうですが未見。
 この佐久間さん、幕末、南町奉行所に与力として勤め、明治維新に際して新政府に市政裁判所として移管させる役目をはたしたといいます。「役得以外の不正の役得」についてもあれこれ実例をあげて記述してあり、平成5年発行の中央区「郷土室だより」81号で鈴木理生さんが紹介しています。

 なおまた、鳥居民さんの『横浜富貴楼お倉 明治の政治を動かした女』(草思社)には、こんな記述があります。
・・・与力は給料は200石足らずですが、贅沢はしほうだいでした。役目によって、大名から、あるいは商人から、盆暮れにつけ届けがありました。そのために、与力の住所を載せた地図が売られていて、鰹節の下に小判を並べた包みを持ち、この地図を頼りに与力を訪ねる商人がいたものです。ですから、妾(めかけ)の一人や二人を囲うのは、与力にとってはわけもないことでした。

 与力の妾になって苦界を脱した「お倉」。彼女は実在の女傑で、明治の元勲たちとの交遊から政治の裏舞台で活躍、明治期に新橋一、日本一の待合いと言われた「瓢家」と深い関係にあるのですが、その話はまたの機会に築地篇で。



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