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第15回●「大映」生誕の地 第1作は豪華キャストによる「維新の曲」


大映夢の跡


「維新の曲」の決闘シーン 左・阪妻、右・大友柳太郎

 大日本映画製作株式会社(大映株式会社の前身)発祥の記念すべき建物は、旧新興キネマ株式会社の本社だった京橋区八丁堀2丁目3−3の4階建ての鉄筋コンクリートビル。ここが創立以降、昭和19年(1944)に日活ビルに移るまで大映の本社ビルとなっていた、と知って驚きました。実は大映は一時期、ぼくがロクをはんでいた企業グループの傘下となり、大映作品には特別の思い入れがあるのです。
 で早速、昭和7〜11年の「火保図」で探すと、新大橋通り(当時は「市場通り」)に面し、亀島橋にほど近い同番地に早川ビル(昭和20年の地図ではトヨタ自動車東京事務所)の名があります。このビルが、きっとその前身なのでしょう。

 昭和14年(1939)4月5日に発布された映画法。これは大正14年(1925)に映画検閲制度が統一されて以来の統制でしたが、その後昭和16年(1941)1月に至り時事映画の全国指定上映、興行の時間制限、さらに製作制限へと進み、8月半ばには監督官庁の情報局と映画界代表との間で会社の統廃合が話し合われるまでになりました。戦雲急を告げ、暗い谷間の時代へと突き進みつつあったのですね。
 情報局の統制計画は「10社を2つの製作会社に統合」「配給会社を新設して一元的に配給」といういわゆる“2社案”で、これに対して業界側は“3社案”をまとめ、東宝ブロック(東宝・東発・南王・大宝・宝映)で1社、松竹ブロック(松竹・興亜)で1社、これに第三勢力として日活・新興・大都で1社の製作会社の設立が決定されたそうです。時代も状況も全く異なりますが、何やら昨今の銀行の統廃合のような離合集散ですね。

 むろん統合はすんなり行かなかったようですが、昭和17年(1942)1月10日、永田雅一(専務のち社長)はじめ9氏が発起人となり、新興キネマ、大都映画および日本活動写真の3社の製作部門を一丸とする新会社の創立総会がこの新興キネマ本社で開催され、ここに大映が誕生。その後、初代社長に迎えたのは菊池寛でした。
 さて、その大映の首途(かどで)を飾った第1回作品は牛原虚彦監督「維新の曲」。時代劇に覇を競うトップスター4人――市川右太衛門、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎が初めて顔を合わせることで人気を呼びました。
 舞台は幕末から明治維新にかけての激動の時代。歴史上の英雄たちの姿を描いたもので、阪妻演じる坂本龍馬、右太衛門扮する桂小五郎、千恵蔵の西郷隆盛、嵐寛の徳川慶喜とくれば、往年の映画ファンならずとも垂涎、まさにイメージぴたりの豪華キャストです。とくに竜馬暗殺のシーンは圧巻で、稲垣浩監督がその著『ひげとちょんまげ』(中公文庫)の中でこの阪妻竜馬にまつわるエピソードを紹介しているそうですが、残念ながら映画も本書もともに未見です。(松山英夫編『大映十年史』を参考にしました)

 

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