
「救世軍渡来の地」の
プレート

日本救世軍の創始者
山室軍平
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旧新富座跡地の「平成通り」を挟んだ真向かい、山櫻名刺で知られる山櫻新富本社ビルの前の植え込みには、「救世軍渡来の地」の銅板プレートがあります。
「救世軍」と言えば、キリスト教プロテスタントの一派。1878年にイギリス人ブース夫妻が創設し、軍隊的組織のもとに民衆伝道と社会事業を行なうことで知られます。
歳末の街角。軍服を着た兵士姿の男女、もの悲しいラッパの響き、そして寄付金を受けるための鍋を思い出す方も多いのでは? 「社会鍋」は歳末の風物詩として俳句の季語にもなっているんですね。救世軍のホームページには、久保田万太郎の「みかけたる三升家小勝社会鍋」なんていう句が紹介されています。
広辞苑には、「95年(明治28)、日本にも支部が設けられた」とあるのですが、まさか新富町が救世軍上陸の地とは知りませんでした。現在、渡来の地にはそれを示すプレートが残るだけですが、ここから歩いて5分ほどの入船一丁目には救世軍東京連隊京橋小隊、つまり京橋教会があります。3階建て、何のへんてつもない小さなビル。建物の正面に十字架とマタイ伝の言葉が掲げられているのを別とすれば、それと気づかないような教会です。
その日本救世軍の創設者が山室軍平。岡山県の人で、明治28年救世軍に入り、たしか最後は中将まで昇進しました。現在の本部(軍隊だから本営と呼びます)は神田神保町交差点の脇、岩波書店の直ぐ横にそびえ立っており、ここには山室軍平記念ホールがあります。
上京した山室軍平が勤めた先が築地の製版所。新富、入船、築地には、今でも小さな印刷所や製版所が数多くあるのですが、そのワケについては、また別の機会に。
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