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第4回で新富町を語るに「戦火による焼失」と書きました。が、実はその後の調査で、これはそれに続く「古き良き時代の名残を残す町」と書こうとしたココロの隙から産まれた事実誤認、筆のすべりでした。いきなり訂正させていただきます。
町の大きな変貌は震災後の区画整理と、戦後の埋め立てや事業転換から生じたもので、新富町一帯は先の大戦における戦災を免れているとのこと。なぜなら、目と鼻の先の築地明石町に聖路加病院があったため、米軍は近辺の爆撃を避けたのだそうです。これに対し「八丁堀は全部やられた」というのですが、まさに通り1本隔てて生死を分けたことになるわけです。昭和55年に刊行された『中央区三十年史』(中央区役所刊)にそう記してありました。
テポドンやらイージス艦派遣に伴うイスラム過激派?による逆襲テロやら、何かときな臭いご時世には、住まいの選択にもそれなりの先見性が必要なのかもしれませんね。
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