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明治11年(1878)の新装開場式のことは「口上」でご紹介しましたが、たまたま『銀座百点』のバックナンバーを見ていて、こんな文章に出会いました。(2002年8月号所載)
明治11年6月、江戸の芝居小屋から東京の大劇場への変革を遂げた守田座は、その地名から新富座(新富町)と名を変えて直後に焼失し、改めて本建築がなっての落成式を行ったのがこのときで、来賓はアイスクリームを供され、物珍しさの声をあげたことから新聞ダネになった。
なんと、新富座の新装披露パーティーでアイスクリームが出たというのですね。
出典は、林えり子さんの「『ギンザ流行リモノ始』其の弐 アイスクリーム」。林さんは東京市本郷区湯島生まれ。1939年、慶応の文学部哲学科を出て、雑誌編集者を経て作家に。川上三太郎の研究で大衆文学研究会賞を受賞した人です。
銀座の資生堂パーラーが明治35年にアイスクリームを売り出し、ハイカラさんたちの間で話題になったこと、戦後すぐ、そのハイカラさんの一人だった母上に連れられ夏休みに銀座へ出た折、資生堂パーラー前で「焼け残ったのねえ」「ここのアイスクリームは一等おいしい」……でも子連れで入る場所ではないと、デパートの食堂でそれとは別物のアイスクリームを初めて食べたことなどが紹介され、「横浜生まれのアイスクリームは銀座によって育てられ、今も老舗の看板をしょって立っている」と結ばれています。
そう、実はビールもアイスクリームも明治2年、横浜が発祥の地なんですよ。
で、サイトで「アイスクリーム」を探すと、次のようなコラムがありました。
氷菓やかき氷のようなものは平安時代の『枕草子』にも登場しているんだ。
でも、身分の高い人しか味わえなかったんだよ!
初めてアイスクリームとして製造販売されたのは、明治2年横浜馬車道で、町田房蔵という人が作ったんだ!
……いやはや、これでは百科事典なんて売れないわけです。
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