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第13回●『東京下町 新富育ち』を読む(2)

 「昭和5、6年から10年ごろの新富町かいわい。記憶をもとに描いたので間ちがいがあるかもしれません」……前回ご紹介した田島ふみ子さんの『東京下町 新富育ち』の84〜85ページに掲載された手書きの地図には、こんな添え書きが書いてあります。
 著者の田島さんとイラストレーターである弟さんが、ああでもないこうでもないと、当時の日々を思い出しながら街並みを再現していくさまが目に浮かぶようです。
 穂積歯科医院の斜め前は「小池や」というシャモ料理屋。池田弥三郎の『食物歳時記』に出てくる、とありましたが、まだ未見。それに池田弥三郎といっても、もう誰も知らないでしょう。慶応大学教授、国文学畑の粋人・食通としてラジオや新聞で活躍しました。
 今の平成通り、新富二郵便局の前身が亀屋パン店、その前、ampmの入っている古色蒼然たるビルが回効散本舗であることも知りました。「回春」ではなく「回効散」……歯痛の薬として名が通っていましたね。角には交番、そして伊東写真館。
 おやおや、反対側の角の洋品屋さん、隣の蛇の目寿司も古くからあるのですね。それに、躍金楼がその頃はまだ通りを挟んで反対側、高速道路側の同じ1丁目の5番地にあることがわかります。
 弟君の名は、メンズファッションや自動車のイラストの第一人者、穂積和夫。VANヂャケット、各自動車メーカー、映画のポスターなどを多く手がけ、あの大ベストセラー、徳大寺有恒『間違いだらけのクルマ選び』のカバーイラストを描いたことでも知られています。
 でも、この穂積さんのことを書くと厖大な文章になってしまうので、こちらを参照。
 さて、当時の東京下町、新富がどういう町だったかということは本書をどこかで読んでいただくことにして、著者とご主人のやりとりから東京の地勢が読みとれるのですよ。

  「明石町のそばで生まれ育ったのに、やぼったいんだ」
 と亡くなった主人が、酔っては人さまによく私のことをこんなふうに紹介したものでした。肥桶積んだ牛車の通う幡ヶ谷育ちの主人なんかに、下町の気っぷがわかるもんですか……。

 第2国立劇場のある初台・幡ヶ谷でもそんなところだったのですね。

※穂積医院の場所を知っていただくために『東京下町 新富育ち』所収の地図の一部を転載しました。



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