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第14回●山本周五郎の世界


三吉橋から見る中央区役所。
三島由紀夫『橋物語』の碑もある

 あの山本周五郎が銀座木挽町にあった「山本周五郎質店」(屋号「きねや」)の丁稚奉公から身を立てたことは良く知られています。
 明治36年(1903)山梨県生まれ、横浜育ち。で、本名が清水三十六(サトム)。今年が生誕100年にあたります。
「どうも作家というものは頭の中の小引出しがよく整理整頓されていて、それでいて古色をおびてこない」と周五郎のまたいとこで写真家の青山青磁氏が山本周五郎全集(新潮社版)第3巻の月報で、こんな話を紹介しています。

 まだ二人が店員時代、よく小型の荷車に葛籠や着物を入れた文庫をつけて、お得意まわりをしていた。(略)荷車の梶棒は膂力の強いサトム君が握り、わたしは後押しをして使いに出たものである。新富町から芳町柳橋にいくときは、木挽町の店を出て采女橋を渡り川沿いに築地警察署区役所の前を経て逢染橋?(今の三吉橋)から新富町にはいっていく(略)その家の前の川端に大きな柳の木があって、そこが第一の休み場になっていたからである。(略)そこで彼はよく言った。
「原田甲斐は悪人ではない、いつか俺はこれを小説にかく」

 いやはや、高等小学校を出てまもなく、質屋の丁稚奉公時代の話ですよ。
 その後40年もたってから小説(樅ノ木は残った)となったというのですから、秋山さんならずとも脱帽です。
 でもここでは作家の頭の構造ではなく、周五郎が今の平成通りを歩いてお得意さんまわりをしていたということだけをご報告します。
 山本質店は「新橋烏森、赤坂、遠くて四ツ谷荒木町、また新富町から芳町、柳橋までの花柳界に出入りしていた」と青山さんの文にありますから、周五郎作品を丹念に読めば、新富・築地・八丁堀あたりのことがいろいろと記されているのかもしれませんね。
 もっとも、今、三吉橋のたもとに柳の木が1本あるのですが、あれは痩せていて、別物でしょう、きっと。



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