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銀座1丁目から新富橋を渡って直ぐ左手。平素は裏町のオフィス街で、ほとんど人気のない辻のそこここに赤い幟旗(のぼりばた)が風に揺れていました。赤い鳥居の小さな祠、新富復興稲荷神社の初午(はつうま)祭でした。
初午とは、旧暦2月の初の午の日。昨年は3月15日、今年は3月19日がその日です。
で、初午とは?
「京都の伏見稲荷大社の神が降りた日がこの日であったといい、全国で稲荷社を祭る。この日を蚕や牛馬の祭日とする風習もある。」(広辞苑)
農業人口が1割を切り、田畑が消え、牛も馬も動物園でしかお目にかかれなくなってしまった都会では死語に近い言葉。それでも十二支十干(=えと)は私たちの生活の中にそれなりに根づいていて、どこの神社でも初午の行事は健在のようです。
新富復興稲荷神社の講元は、古くからこの地で建設業を営んできた竹田組(竹田建設)で、神社も竹田邸の敷地の一画にあります。関東大震災で一帯が大きな被害を受け、復興の足音が高まる中で、新しい時代への期待と豊穣への祈りを込めて建立されたと聞きました。
昨年は3月15日(金)午後4時半から社前で初午祭が執り行われ、町内から約40名が参加、神主さんの祝詞(のりと)奏上に続いてそれぞれが玉串を奉納。そのあと、集まった幼児たちにお菓子が配られ、子供たちの姿の消えた町に時ならぬ賑わいが戻りました。
で、時ならぬ賑わいと言えば、その日、記者もまた町内の善男善女にまじって御神酒(おみき)をふるまわれ、座の賑わいに参加させていただきました。ご町内とはいえ、まだまだ新参のヨソ者を暖かく迎え入れてくれる、そんな下町の人情がこの町には残っているのですよ。
ちなみに『広辞苑』で初午の隣に載る初丑(はつうし)は余りポピュラーでないようで、なんとワープロでは「派通史」と変換されるのですね。
むろん、丑の日は食の世界では健在です。そう、夏の土用の最初の丑の日が初丑。
「この日、鰻を食い、牛を川で洗う」(広辞苑)とあるように、鰻屋さんにとっては文字通り書き入れ時です。
なお町内には2丁目の築地寄りに新富稲荷神社があり、こちらが町の鎮守さま。新富復興稲荷神社はプライベートな社ということになります。
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