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第17回●あるプロレタリア作家のこと


現在の榎本歯科医院。
手前の白壁が「松志満」です

 インターネットで「新富町」関連の記事を検索していて、「新富町 松元眞」というエッセイに出会いました。
 松元さんは元テレビ朝日報道局長で、戦前の一時期、ご両親とともに新富町に住んでいたそうです。故平林彪吾の長男、ともありました。
「杜父魚(かじか)文庫」なるサイトに掲載されたもの。父・平林彪吾とその妻、骨、私の生前契約など、懐旧の情あふれる佳篇のうちの1篇。この「新富町」は、戦後2度訪ね、以来20年近く足を向けたことはなかったという町を訪ねた思い出の記(1998年4月)です。
 いつもながら勝手に引用させていただくのですが、著作権の関係でサワリだけ。興味のある方は、ぜひサイトの方をご覧になってみて下さい。

「私たちは、昭和10年11月から、父の急逝を挟んで、15年3月まで、新富町に住んでいた。最初は、1丁目の自転車屋の2階、次が2丁目にあった髪結いさんの離れ、と転転、最後に落ち着いたのが、3丁目の「相馬ビル」であった。花柳界が同じ町内にあった。」
 また「新富町1丁目の自転車屋の2階に移り住んで、間もない頃の夕刻、父は抜歯のため近所の歯医者へ行っていた」、そこを刑事に踏み込まれ連行される、というくだりもありますから、ひょっとしてこの歯医者さんは第12回でふれた穂積歯科医院だったりして……と思ってさらに読み進めると、「歯医者の赤レンガの建物は残っていた」とあるので、先の歯医者が「松志満」(まつしま。第10回に登場)の脇の榎本歯科医院だということがわかります。  


 もっとも、プロレタリア作家の平林彪吾といっても、おそらく知らない人が大部分でしょう(かく言う記者も、名前すら知りませんでした。嗚呼、昭和も遠くなりにけり)。
 平林彪吾(本名・松元実)は明治36年9月(1903)鹿児島県生まれ、日大社会学科卒。昭和14年4月(1939)、敗血症で死去。東京府復興局の建築技手となって4年間、銀座界隈の区画整理事業に従事していたこともあるそうです。
 伊藤整、また武田麟太郎らと同人活動をし、作品集に『月のある庭』。標題の作品は「失業者の執念を象徴的に描きだした詩趣をたたえた佳作」とあるのですが(日本近代文学大事典=新潮社)、さてどこで読めるものやら。近々、京橋図書館を覗いてみるつもりです。
 なおまた松元さんの文中にもあるのですが、築地警察署と言えば、かの小林多喜二が昭和8年(1933)2月に逮捕され拷問のあげく30歳の若さで非業の死をとげたところです。築地小劇場のことなどとあわせ、いずれ築地篇でご紹介しましょう。
 付記:京橋図書館に松元眞さん編の『鶏飼ひのコムミュニスト−平林彪吾作品集』という本があることが判明しました。



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