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第22回●新富町“聖域説”は間違いだった(お詫び)




新富区民館で行われた座談会風景

 いやはや、お恥ずかしい。とんだ恥の上塗りでした。
 実は第8回、「なぜロマンの『残り香』がただようのか」で、7回目の記述のミスに気がつき、「新富町一帯は先の大戦における戦災を免れているとのこと。なぜなら、目と鼻の先の築地明石町に聖路加病院があったため」と訂正して、すっかり安心していました。昭和55年(1980)発行の『中央区三十年史』の記述を読んで、「戦災を免れていた」と素直に信じてしまったのですね。
 ところが、二転あれば三転あり。
 調べ物のついでに、京橋図書館で区の教育委員会が出した「中央区の昔を語る(8)−小舟町、新富」という冊子に載っている座談会を読んで、この訂正文が間違っていたことを知りました。
 平成5年(1994)の夏、出席者は明治40年生まれから昭和6年生まれまで。地元で生まれ育った男女あわせて6名の方が、あれこれ新富の変遷を語っているのですが、ここで戦災についても、いろいろ新しい事実を知らされました。
「聖路加病院があったから戦災を免れた」は流言飛語で、伊東写真館の前や旧松竹本社(今の菊正宗ビル)前に爆弾が落ち何人か死んでいること、焼夷弾は各所に落ちたが強制疎開した家を壊してあり消火リレーでどうにか連焼を免れたこと、町内にあった松の湯・般若湯など風呂屋の煙突が狙い撃ちされたことなど、生々しい体験談に反省しきりでした。
 座談会では、その他いろいろと町内の歴史を学びました。いずれ稿を改めてご紹介したいと思います。




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