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いよいよ「銀座・新富納涼盆踊り大会」が近づきました。会場となる京橋公園にはやぐら舞台が敷設され、華やかな提灯の列が祭りの時を(そして“ニジンスキー”の登場を)待っています。
で、今は首都高速道路に占拠されてしまった楓川を挟んで隔たった二つの町会がなぜ合同で? エリアが狭く人口も少ないから一緒にやるようになった? ……と考えるのは、この町の来歴を知らない新参者なんですね。(かく申すワタクシがそうです)
実は、今の銀座1丁目の大半は昭和8年(1933)に町区域の変更で銀座東1丁目となるまで新富町に属していたのですね(一部は八丁堀)。詳しい変遷は別の機会にふれますが、大富町と新島原が合併して「新富町」が誕生したのが明治4年(1871)。もともと銀1と新富は同じ“ご町内”で、小学校区も京橋小学校だったのです。
平成15年7月1日現在の人口統計で、銀座1丁目が513世帯1123人、新富が1・2丁目合わせて804世帯1400人。このうち人口減で平成4年に廃校になった京橋小学校跡地に建てられた22階建ての区立住宅「京橋プラザ」の入居者が208世帯。平成11年夏にプラザの新住民が来るまで、このあたりは少子高齢化への道まっしぐらだったようです(ちなみに「銀座・新富納涼盆踊り大会」の会場となるのがまさにこの「京橋プラザ」前の広場)。
それが今や「2003年問題」……。これについては近々、詳しいレポートをお届けする予定ですので乞うご期待!
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