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第30回●新富猫ものがたり――仮名垣魯文のこと


どうですこの気品

編集局の入り口に鎮座まします招き猫。
作は伊万里では名の知られた陶芸作家

「新富町の猫には風格があるって思いません?」なんて、編集局の姐御(あねご)が言うんですね。
 猫にも杓子(しゃくし)にも“風格”なんてあるはずはなかろうに、と、イヌ派のぼくは思うのですが、それとなく町内の露地にたむろしている猫を観察してみると、たしかに新富には古参の猫が多いし、毛並みも動作もおっとりしています。昔ながらの下町の残り香と一体となって街に溶け込んでいるようです。
 いったい、どこに、どれぐらい猫がいるんでしょうか? 
 そんな疑問は、そっくり姐御の取材力におまかせするとして、「八丁堀猫ものがたり」(2003年1月8日)に引き続き「猫ものがたり」を。
 実は、新富の猫々については、歴史は明治に遡るのですね。
 昭和18年に出た木村錦花著『守田勘弥』(大衆社刊)は、新富座の座元である12世守田勘弥について書かれた大著。新富町の故事来歴について、ぼくがもっとも頼りにしているタネ本ですが、そこに、こんなくだりがあります。

 築地川に面した新富町6丁目に仮名垣魯文の猫々堂が、猫の顔を染め出した紺暖簾を掛け、精□水や、君ヶ浦、夕顔白粉などの化粧品の外に、紫陽袋と称する麝香入りの腕守りを売出し、新橋や櫓下の芸妓に歓迎されていた……

 魯文先生、店を息子に譲り一時は材木町へ転出したものの、やがてまた新富に戻り「仏骨庵」なる表札を掲げた風流な家で悠々自適の暮らしをしていた、なんていう記述もあります。“猫三昧”の日々だったのかもしれません。
 築地川に面した新富町6丁目と言えば、築地橋の対面で、今の2丁目4番地または7番地。
 魯文は幕末・明治初期に活躍した戯作者・新聞記者で、1829年(文政12)に江戸京橋の魚屋の長男として出生とありますから、ま、ご町内の人。『安政見聞誌』、『西洋道中膝栗毛』、『牛店雑談 安愚楽鍋』などの戯作のほか、新聞記者として『仮名読新聞』『魯文珍報』を創刊しました。1894年(明治27)没。 本名が野崎文蔵。ひょっとして新富あるいは京橋に、野崎さんという名のご子孫・縁戚がいたりして。
 ところで編集局の入口にはY編集長の“連れ子”という「招き猫」が鎮座しています。これまでのところ、ほとんどご利益はないようですけど。(真之介)




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