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新富編第38回『あさり河岸の「士学館」道場 』で触れたあさり河岸。河岸‥‥? 新富町のいったいどこに河岸が‥‥?
新住民の皆さんや町外から通勤されている方には想像しにくいかも知れませんが、新富町はかつて“川の町”でした。
右の地図は、昭和初期の地図に現在の建物を重ねたものです(参考:草思社刊『東京の戦前〜昔恋しい散歩地図』および安政4年・尾張屋版「日本橋南絵図」)。真ん中左上の太い点線は時代小説などによく登場する三十間堀の一部で、昭和初期にはすでに埋め立てられていましたが、江戸時代には京橋川とつながっていました。あさり河岸があったのはこの水路沿い。こうして重ねてみると、ちょうどいまの京橋公園・京橋プラザのあたりだったことがわかります(ちなみに京橋プラザの植え込みの石垣は三十間堀の石垣がそのまま使われているそうです)。
新金橋公園に立て札があるとおり、弾正橋・白魚橋・真福寺橋は三ツ橋と呼ばれ、江戸の名所として知られていました。中央区役所前の三吉橋も、木挽町生まれのなぎら健壱さんの著書『下町小僧』(ちくま文庫)によると「日本で唯一の、世界でも珍しい3方から渡れる三叉の橋」として知られ、三島由紀夫の短編『橋づくし』では、この三吉橋から物語が始まります。
三十間堀が埋め立てられたのは1949年、新富を流れる川(築地川も含めて)がすべて埋め立てられたのは1962年といいますから、それほど古い話ではありません。ともあれ、こんな小さな町に2箇所も橋の名所があったことからも、新富町がかつて川の町・橋の町だったことがうかがえます。
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