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芝木好子の直木賞受賞作『青果の市』に描かれた築地市場の人間模様は、セリフといい性格描写といい、これが戦前の、しかも女流作家の作品かと疑うほど鮮度にあふれていて、驚かされます。
築地魚河岸篇の初めの回で、ぼくは「ヤッチャ場の女」について、彼女が“二毛作”で営む新橋・烏森の小料理店の常連客である仲買人たちの横顔ともども簡単にふれたのですが、『青果の市』を読むことなく築地についてレポートをしたことを後悔しています。そしてまた、彼女が常々築地について語る辛口の言葉が、そっくり当時から今日まで持ち越されてきた築地の「古い体質」に繋がるものであることに驚きます。
短編集『下町の空』(講談社文庫)に収められた9本は、いずれも昭和40年前後に発表された作品で、本のタイトル通り下町の人間模様について書かれたものですが、「下町の空」および「息子」の2編に、新富町の描写が出てきます。
「下町の空」は「青果の市」の続編ともいうべき築地もの。青果市場の仲卸しの老舗「吉長」一家を描く短篇で、長男は冷凍食品会社の専務、次男は神田淡路町にあった頃からの仲買の老舗「吉長」を継ぎ、新富の旅館に嫁いだ長女は良人を戦争で亡くし、今は娘と2人で暮らしながら青果店の手伝い。その長女のところに昔も今も「吉長」と屋号で呼ばれる老齢の父親がしばしば訪れる。
新富町はこんな感じです。
……。それに場所が便利なので時々は浜子の新富町の家にもくる。戦災に焼けなかったのは新富町の家だけで、今だに補修しながら住んでいる。築地川の流れを背にした古い町通りの一画で、木造三階建ての旅館「富川」である。戦災前の古い東京には三階建ての家がかなりあった。大きな商家などは三階を奉公人の寝部屋にしていた。
「富川」は昭和の初めに建てた家で、木口は古いけれど、それなりに古い東京の面影を宿している。……
また「息子」は、京橋の料理屋「松善」の主人(あるじ)である板前と浪人中の息子(修自)、板前の実兄の3人が主な登場人物。地方の大学で教師をしている兄(志郎)が、上京の折り、新富に住む弟のところへ立ち寄った時の話です。
新富町は、やはりこう描かれています。
……志郎は、朝食を済ますと、民子に教えられて近くの修自の勉強部屋へ行ってみた。築地川を背にした通りは古い東京の面影が残っていて、三軒長屋があったり、木造三階建ての旅館があったり、煮〆屋があったりした。隅田川沿いの駒形に育った志郎には懐かしい下町の景色である。古びて、木口に染みついた生活の匂いが、饐えた臭気で漂ってきそうな家並みである。……
こうして三つの作品を並べると、新富の町の古びた佇まいが、突き放したような言い方の中にも、ある種の共感をもって繰り返し取り上げられていることに気づきます。高度成長によって失われ行く下町への、芝木さんの「惜別の譜」でもあるようです。(真之介)
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