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プロ野球の世界では、このところ近鉄の合併やらライブドアによる買収やらの話題でもちきりです。でも、球団の離合集散は今に始まったことではありません。選手やファンを無視した合併劇と1リーグ制への移行策にはいささか疑問がありますが、ここでは忘れられた「松竹ロビンス」の栄枯盛衰についてレポートします。
第2次大戦後、野球熱が復活する中で、松竹が映画の宣伝手段として傘下に「松竹ロビンス」を発足させたのが昭和25年1月。創立記念に取られたこの写真は『松竹百年史』(平成8年刊)に載っていたものです。フランチャイズは京都・衣笠球場、監督は往年の明大のスター選手、小西得郎でした。
3月10日の対巨人戦からペナント・レースに突入し、全137試合で98勝35敗4引き分け、勝率7割3分7厘。いきなりセ・リーグで優勝してしまったのですね。
日本シリーズではパ・リーグの「毎日オリオンズ」に2勝4敗で負け、優勝を逸しました。そして翌26年には、有名選手の引き抜きなどで球団経営費が増大し赤字を計上、成績も4位とふるわず、翌々27年には最下位。28年に「大洋ホエールズ」と合併し「洋松ロビンス」と名を変え再出発しましたが、7チーム中6位、翌29年最下位となり、12月には早くも松竹は球団経営から手を引きました。
昭和25年。原子爆弾の上を行く“水爆打線”と呼ばれたクリーンアップ・トリオ、最高殊勲選手となった小鶴誠外野手の打点161の大記録……など、興味津々の話題は多々ありますが、とりあえず今回はここまで。
ちなみに野球ファンならご存知の通り、同球団はその後、大洋ホエールズ、横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズと名を変え、先年の久々のリーグ優勝を別とすれば今季も成績はイマイチです。頑張れ、ベイスターズ!
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