|
江戸時代、「酒は新川」という言葉があったそうです。そう、八丁堀の隣町、あの新川です。
東京駅から隅田川(大川)方面へ進み、八丁堀を抜け、亀島川にかかる高橋(たかばし)、あるいは亀島橋、新亀島橋を渡ると新川地区。今は高層マンション群で知られる住友ツインビルはじめ新築マンションや、製紙・運輸など製造業関連の会社や倉庫が建ち並び、いかにも新開地といった乾いた風が吹く町です。
でも、もともとは下町。それも、幕府開設以来急速に発展した江戸にあって、霊岸島から新川一帯は港町として発展したのですが、河村端賢(かわむら・ずいけん)が酒樽を岸にあげるのに便利なようにと、新川を自力で切り開いたこともあって、元禄以降は酒問屋が集中し、江戸の酒問屋の中心になっていったようです。元禄から享保頃にかけて、灘の酒が年間90万樽から100万樽も陸揚げされたといいますから、当時の江戸の人口を考えると豪気なものです。
江戸へ船で送られる酒樽は4斗樽で、だいたい3斗6升入り。船が揺れると中の酒が揺れ、新しい杉の樽の香りが酒に移り、あの胃の腑にしみわたるような香気が江戸っ子から称賛されたそうです。(このへんの事情は『中央区内散歩−史跡と歴史を訪ねて−』所収、川崎房五郎さんの「酒問屋と江戸市民」や、八丁堀篇第11回「『新川河岸迷い酒』を読む 」でふれた千野隆司さんの小説に詳しい)
むろん、水運が物流の中心の時代。酒に限らず、鉄砲洲の港に運ばれた物資は、伝馬船や筏の便がいい深川の木場や入船、湊付近の材木問屋、また八丁堀の金物問屋など、地域ごとに特色のある問屋の集積地を形成していきました。
そんな伝統もあって、新川には今でも酒造業関連の会社が多いのですね。
電話帳を開くと、いやあるわあるわ。老舗の酒造メーカーの東京支店が並んでいます。
北の誉酒造、金盃酒造、国冠酒造、辰馬本家酒造、日本盛、白鷹などなど、キリンビールの本社もこの町ですし、隣の八丁堀や佃、日本橋などを含め、日本酒、ビール、ワイン、焼酎など酒造メーカーの名がずらり。まさに「酒は新川周辺」のようです。
で、その流れを汲んでか、大消費地銀座により近い新富には、小さな町ながら3つの日本酒の名門と泡盛のピカイチの東京支店があります。驚きました。
|