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第53回●酒は新富?<余話1> 柔道ニッポンの始祖


東京・大塚の占春園にある
嘉納治五郎像(水沢千秋氏撮影)

 灘の名門、菊正宗酒造東京支店のビルが、築地橋際、かつての新富座の隣の旧松竹本社ビルであることは新富篇第49回「『松竹ロビンス』の栄枯盛衰」でふれました。
 でも、同社のホームページを眺めていて驚いたことがふたつあります。
 万治2年(1659)創業という菊正宗酒造の嘉納家は、灘の名門進学校、あの「灘中・高等学校」の創立に関わっていたのですね。しかも、その旧制灘中の創立にあたっては、講道館柔道の創始者で、今日の柔道ニッポンの始祖とも言うべき嘉納治五郎(かのう・じごろう)が大きな役割を果たしたというのです。灘中学校・高等学校HPの沿革から引いてみましょう。

 灘中・高等学校は昭和2年10月24日、灘五郷の酒造家両嘉納家及び山邑家の篤志を受けて旧制灘中学校として創立されました。
 創立に当たっては、嘉納家の親戚で、当時東京高等師範学校(現筑波大学)校長兼講道館館長であった嘉納治五郎先生を顧問に迎えて尽力いただき、校是にも柔道の精神『精力善用』『自他共栄』を採り翌3年に開校の運びとなりました。


 旧制灘中の教育の基本を確立したのは、嘉納治五郎の愛弟子として初代校長に就いた眞田範衞。
 進学校としての灘高校の活躍ぶりについては、あらためて記すまでもありません。1学年わずか200名ながら、カクカクたる実績を誇っています。
 さて、その嘉納治五郎が嘉納塾・講道館を開いたのは、明治15年(1882)、東京・上野の永昌寺。
 彼が柔道の修行・普及につとめたのは、「このすばらしいものを日本に残したい」という思いから。修業の目標はあくまで教育であると、次の3つを目的としたそうです。

1 勝負法としての柔道……力学の法則にたち、科学に反する強引な技を行わない
2 体育法としての柔道……危険な技を避け、攻撃や防御の練習によって体を強健にする
3 修身法としての柔道……礼儀や精神の修養につとめ、人格を完成する
 (熊本・大矢野町の郷土史家、川上昭一郎氏の記述から)

 アテネ・オリンピックでの日本選手の清々しい活躍ぶりを見るにつけ、考えさせられるものがあります。
 が、ついでに灘高校のホームページを覗いてみると、さすがに「文武両道」とはいかないのか、囲碁部が全国大会で5連覇、また野依良治名古屋大教授ノーベル化学賞受賞(新制9回卒)とだけありました。やれやれ、一安心?




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