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第57回●明治の公教育 京橋小創立95周年に寄せて−その1

 明治、公立の学校教育は府下や下町から始まりました。
 東京都内の公立小学校を創立年次順に見てみると、1番手が立川市、2番・台東区、3番・世田谷区、4番・稲城市、5番・青梅市。6番目にようやく都心文京区の湯島小が登場するのですが、7番がなんと八丈町、8番・立川市、9番・大島町、10番・八王子市。以下さらに青梅、狛江、奥多摩、日の出町と続きます。江戸の周辺部、三多摩や島嶼(とうしょ)部の市町村名がやたらと目立つのですね。
 最古の立川第一小の明治3年を皮切りに、明治3年2校、4年4校、5年10校、6年56校と、全都(当時は「東京府」と言いました)で小学校の開設は急ピッチ。国民誰もが学校教育を受けられるようにした「学制」の公布が明治5年。それが明治6年の開設ラッシュとなって現れたことにも気づきます。
 しかし、明治6年に港区の御田小(田町駅のすぐ近く。三田にある)が25番目の学校として開設されるまで、いわゆる下町地区ばかり。山の手地区には公立小がなかったことになります。

 これはどういうことだろうと思って文京区教委が編んだ『文京のあゆみ』を見ると、「明治3年6月、東京府に6小学校が設けられたが、文京にも第4校が、本郷丸山本妙寺におかれた」という記述が。先のデータには官(国)立が含まれていないのです。しかも同書には、明治14年の公立小の在籍生徒数は小石川・本郷両区で1302人であるのに対して、私立小学校は2748人という数字が載っています。山の手族は上級校への進学をめざして官立または私立に行ったということなのでしょう、きっと。

 文京区最古の公立小学校は湯島小で明治4年、2番手が礫川小で同6年、3番が明化小の同7年。そして水道橋近くの元町小はずっと遅れて、明治44年。そう、今年創立95周年を迎えるわが京橋小(1909年=明治42年創立)の2年後ということになります。
 都心部の過疎化にともなう児童数減少により閉校となって12年。いま、都心への人口回帰現象が進んでいますが(9月1日現在の中央区の人口は対前年同月比で+3204人)、この先、学校再開なんてことに?(他の区のデータ中心で恐縮デス。これはワケアリ、ぼくは同じ頃に閉校となった元町小OBなのです)
(真之介)




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