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第58回●台風一過の旅立ち 京橋小創立95周年に寄せて−その2


創立当時のモダンな校舎

 明治6年(1873)、学制の実施にともない中央区内でも公立小学校が設けられたのですが、最初に創立されたのは第1大区第1中学区1番公立小学校阪本学校、つまり現在の阪本小学校です。
 以後明治12年まであいついで12番小学まで創立されたのですが、中央区内は江戸時代から私塾・私学が発達していたため、公立校の歩みは遅々たるものだったようです。
 以下、明治初年に創立された学校を列記します。
1番官立小学阪本学校 明治6年3月
2番官立小学久松学校 明治6年7月
3番官立小学桜池学校 明治6年7月
4番官立小学常盤学校 明治6年8月
5番官立小学宝田学校 明治6年12月
6番官立小学有馬学校 明治7年3月
7番官立小学築地学校 明治8年?月
8番公立小学城東学校 明治8年9月
9番公立小学神田学校 明治9年2月
10番公立小学霊岸島学校 明治9年8月
11番公立小学千代田学校 明治9年8月
12番公立小学文海学校 明治10年3月
 そんな中で、明治42年(1909)に至り京橋小学校、同44年に京橋高等小学校が創立されます。
 創立の経緯を見ると、後の閉校の前史とも言うべき波乱の幕開け、台風一過の後の旅立ちです。つまり、明治34年創立の朝海小学校が42年2月に火災で全焼した後を継ぐ形で、児童646人と職員全員が指定替えとなり京橋尋常小学校として発足しているのですね。
 その後、大正12年9月には関東大震災で焼失。昭和4年に落成した新校舎も、20年5月25日夜には米軍機による空襲で屋上や校庭に小型焼夷弾17発が落下したりしたそうです。(幸い消し止めた)
 いま、京橋プラザ1階のプレートを除けば創立時を偲ばせるものは何もありませんが、京橋公園にたたずむと、明治、斬新な新校舎で未来を夢見て読み書き算盤(そろばん)に励んだ子供たちの歓声が聞こえてくるようです……。
 ちなみに創立の明治42年がどういう年かというと、5月にスリの大親分仕立屋銀次つかまる、10月に伊藤博文がハルピン駅頭で狙撃され絶命、また12月に山手線の新橋〜上野間が開通、なんていうことが年表に記されています。
(『中央区教育百年のあゆみ』、『中央区年表 明治文化篇』参照)




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