
『無言館の詩 戦没画学生 「祈りの絵」』第3集(講談社)

蜂谷清「祖母の像」

信州・上田郊外にある無言館
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明治42年(1909)創立、そして平成4年(1992)に閉校となった京橋小。おもに東銀座・新富地区の小学生たちが通っていただけに、新富町内にも2代3代にわたる卒業生が多いのですが、この夏、まったく思いがけない形でOBの一人と出会いました。
蜂谷清(はちや・きよし)さん。大正12年3月2日、千葉県佐倉生まれ。築地小学校から京橋高等小学校に転校し、同校卒業後、デザイン会社の銀座松原工房に勤務、という略歴の人です。
生きていれば81歳、まだまだ元気な大正世代です。
でも、残念ながら故人。ぼくが出会ったのは、彼が描いた「祖母の像」と題する1枚の絵です。
信州・上田郊外の小高い丘。終戦の日を前に訪れた「無言館」の静謐そのものの一隅に展示されていました。
ご存知の方も多いでしょうが、「無言館(むごんかん)」は太平洋戦争で志なかばで戦死した画学生80余名、600余点の遺作・遺品を集めた民間の美術館。9月8日に病死した作家の水上勉さんの子息窪島誠一郎氏が、画家の野見山暁治氏の協力を得て平成9年5月に自力で開いたものです。
「祖母の像」を収めた『無言館の詩 戦没画学生「祈りの絵」』第3集(講談社)は、蜂谷清さんについてこう記します。
昭和17年2月、海軍省主催のポスター展において「輝く海軍記念日」が特選を受賞。18年、満州に出征。千葉県作倉連隊所属。20年7月1日、フィリピン・レイテ島において戦死。享年22歳。
無言、いや無念の死と言うべきでしょう。
ちなみに、「魚河岸通信」第2回でふれた旧佐倉藩士・西村勝三はじめ築地、新富には佐倉出身者が多かったようです。いま電話帳で調べると、中央区はゼロながら、墨田2、江東3と蜂谷姓。縁者かどうか未調査ですが。
無言館=電話0268−37−1650 年中無休
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