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第61回●平民社と新富座(1)秋水&枯川の意外な足跡


写真は左=幸徳秋水、
中央後=堺利彦、
中央前=石川三四郎、
右=西川光二郎



「平民新聞」創刊号

 京橋小の足跡を調べようと「中央区年表/明治文化篇」(京橋図書館刊)を繰っていて、思いがけない記述に出会いました。明治40年1月15日「新富町6丁目の社会主義団体平民社から日刊平民新聞を発刊(主筆・幸徳秋水、編集長・堺利彦(=枯川))」。
 平和・自由・平等を求める近代日本の民衆運動の先駆者ともいうべき平民社が、一時期とはいえ新富町に拠点を置いていたのですね。
 たしかに、明治以降、中央区は新聞社の街。明治10年代には、後の朝日・毎日・読売はじめ百数社ある新聞社・雑誌社のうち、半数近い50社が銀座にあったとされており、平民新聞もまた有楽町で発行されていたことは頭にあったのですが、まさかその後一時期、新富に社屋があったとは! それも旧新富6丁目と言えば新富座のあったブロック。あの仮名垣魯文の「仏骨庵」や旧松竹本社があったところです。
 早速、平民新聞の復刻版をあたったのですが発行所の住所がどうにもわかりません。やむなく京橋図書館の郷土資料室で係員に聞くと、さすがプロ、たちどころに日刊平民新聞発行時の平民社の所在地は新富6丁目7番地と探し出してくれました。なんと、平成通り沿い、新富座と路地を挟んだ隣組、今の新富ビルや榎本歯科医院のある一画です。
 榎本歯科医院は、新富篇第17回(03年3月)「あるプロレタリア作家」のことでふれたのですが、平林彪吾が昭和10年、抜糸診療中に逮捕された歯科医院です。思いがけない事実との出会いにいささか驚きました。
 それにしても、新富座と社会主義団体。今日の歌舞伎の世界からすると全く異質な関係のようですが、築地小劇場はじめ文芸や演劇の世界と社会主義者とは意外に近しい関係にあったのですね。堺利彦が新聞に連載した「平民日記」には興味深い記述があります……。以下次号

 注:平民社=1903年11月、幸徳秋水・堺利彦らが興し、週刊「平民新聞」(その後、日刊)を発行。日露戦争が深まる中、戦争反対を呼びかけ社会主義者の拠点として気を吐いたが、当局の激しい弾劾にあい、1907年に解散。




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