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第68回●新富町と日本映画(2)〜キネマ旬報社が新富町にあった


『キネマ旬報』再建第1号
表紙はディアナ・ダービン



いちばん奥から2軒目に
キネマ旬報社があった

 『キネマ旬報』といえば、ある意味で日本映画の隆盛を支えきたといっていい老舗映画雑誌。創刊は大正8年(1919)といいますから御年86才、何度かの休刊・廃刊の危機がありながら生き残ってきた堂々たる“長老”さんです。
 現在のキネマ旬報社は麻布十番にありますが、戦後の一時期、編集部が新富町にあったことは地元でもあまり知られていません。同誌の1994年7月上旬号(通巻No. 1135)「創刊75周年記念特集」には「キネマ旬報の歩み」という年表が載っています。それによると、キネマ旬報社が新富町にあったのは昭和21年(1946)〜25年(1950)の4年間。昭和15年(1940)に情報局の命令で廃刊になっていた同誌の、まさに戦後再建号がこの新富町で発行されたのです。
 当時の編集部住所は「京橋区新富町2丁目16」。瓦版編集部の資料魔・真之介所有の昭和20年代の地図で確認すると、現在の新富1丁目4、ちょうど『新富瓦版』の印刷を担当していただいている印刷工房はせ川さんがあるあたりだとわかります。
 新富町時代に編集に参加した滋野辰彦氏の回想によると、当時の旬報社は芸能新聞など7種の刊行物を発行し、最盛期には外注スタッフも含めて70名もの大所帯だったそうです。ところがこの“黄金期”はわずか2年ほど。昭和23年(1948)年ごろには「しろうと商売の放漫から(滋野氏)」経営に行き詰まり、およそ4カ月の休刊期間をおいて発行人が交代、事務所も銀座に移転したとあります。
 ちなみに新富町から転出したあと、銀座時代の旬報社編集部には、荻昌宏氏や品田雄吉氏など、後の映画評論で活躍する人材が在籍していたそうです。




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