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松永 「のらくろ」の田河水泡さんも新富町にいらっしゃったんですよ。
伊藤 ああ、そうですか。それは知りませんでした。
築地のタウン誌『築地物語』の93年3・4月号に載った「新富町昔がたり」と題する対談に、漫画家の田河水泡の名が出てきて気になっていました。
田河水泡と言えば、戦前、兵隊漫画の「のらくろ」シリーズで一大ブームを巻き起こした人気漫画家です。戦後は一時期忘れ去られた感じになりましたが、昭和42年頃には第2次ブームが起こるなど終生活躍し、また弟子筋から人気漫画家が輩出したことでも知られています。
昭和7年(1932)入門の杉浦茂(『猿飛佐助』)、8年(1933)倉金章介(『あんみつ姫』)、9年(1934)長谷川町子(『サザエさん』)はじめ、戦後も昭和25年(1950)には滝田ゆう(『寺島町奇譚』)や双子の兄弟である山根青鬼(『名探偵カゲまん』)赤鬼(『よたろうくん』)など、ぼくら中高年世代にとっては懐かしい、錚々たる漫画家が田河一門の出です。
前記の対談は、銀座・新富生まれの松永喜久さん(明治45〜平成11年=1912〜1998)と伊藤成郎さん(昭和32年=1957生まれ)のお二人によるもので、古き良き時代の新富の想い出を語り尽くしたものです。
京橋小OBで生家が同校のすぐ裏手にあったという松永さんは、第1号女性プロボクシングプロモーターとして興業を手がけて以来、ボクシング記者の草分けとして活躍、『リングサイド・マザー 私とボクシングの半世紀』という著書があります。対する伊藤さんは伊藤写真館の3代目で維新史の研究家として著名です。
しかし、田河水泡についてはそれ以上触れられていません。
その水泡が、いつ頃、新富のどこに住んでいたのでしょうか。戦後60年という節目にあたって調べてみました。
『のらくろ一代記 田河水泡自叙伝』(91/12、講談社)は、本の前半にあたる関東大震災までを水泡自身が書き、その後を夫人の高見澤潤子が書き継いだものですが(執筆中に水泡が没したため)、巻末には弟子の永田竹丸編の詳細な略年譜があります。また同じ高見澤潤子著『永遠のふたり 夫・田河水泡と兄・小林秀雄』(91/12、講談社)や「のらくろひとりぼっち 夫・田河水泡と共に歩んで」(83/03、光人社)にあたってみました。
でも、漫画家生活を始めた昭和2年の中野区谷戸以降、田端、神田、小石川、市ヶ谷、宇都宮・信州(疎開)、鎌倉、荻窪、下高井戸、そして終(つい)の棲家となった玉川学園と転居を重ねているのですが、新富の名は見あたりません。
すると、浜松町に本社のあった「新夕刊」の漫画欄の編集を担当していた昭和21年から23年5月までのある時期、仕事場あるいは別宅?があったのでしょうか。疑問は解けないまま、いたずらに時間が経過していきました。(つづく)
田河水泡 明治32年(1899)、本所区林町(現墨田区)生まれ、昭和6年(1931)に連載開始された「のらくろ二等卒」(『少年倶楽部』新年号〜)が大ヒットし、一躍戦前を代表する人気漫画家に。平成元年(1989) 12月12日没、享年90歳。夫人は作家の高見澤潤子で、文芸評論家・小林秀雄の実妹。昨年5月12日、99歳で逝去。
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