準備号を含めれば創刊以来9号を数える姉妹版の『新富瓦版』。編集を仕切る姉御(今風に書くならANEGO)ことY女史の好みなのか、猫関連の企画が多いのですね。表紙のキャラクターはいつも招き猫だし、連載も「路地裏のにゃん」。準備号の「めめ」以下、「グレちゃん」「ちいこ」「ちゃちゃ」「コロ」「ななちゃん」「たんこ」「ギョースケ」等々……早くも10匹以上が登場しました。
でもそれを見てぼくは、新富の猫たちが古き良き詩情を残す町にふさわしく、古風で地味な愛称をつけられていることに気がつきました。
銀座には「タキシード」「クロベイ」「アデランス」「カボチャ」という名ののら猫がいたそうです。
京橋図書館で借りて読んだままになっていた飯島奈美子さんの『銀座のら猫物語』(1985、三水社刊)。もう絶版になっているのですが、銀座と猫については、この本、この著者を抜きにしては語れない、という伝説的な人が名付け親でした。ぐっと斬新な愛称ですよね。
戦争直後(1945年)、焼け野原だった東京にはのら猫も殆どいなかったそうです。が、瓦礫の山だった銀座は高度成長の波に乗り、一転して裕福な生ゴミのあふれかえる街に。ネズミが大量発生、そのネズミの連れてきたノミやダニも大発生して困り抜いたそうです。
昭和38年(1963)、東京オリンピックの前年に、銀座では、異常に増えたネズミを退治してもらうため、多くの人が猫を飼い始めたというのです。
ところが、ある時期を過ぎると、今度は飼われた猫たちが子孫を増やしたのと、車で銀座に猫を捨てに来る人が急増し、のら猫が多くなったそうです。しかも、のら猫たちに豊富にあった残飯も、ゴミ箱が密閉型のポリバケツに変わり、清掃車による処理がスムースになった結果減り始め、3度の食事?に困る猫たちが増えてきました。
そこで1978年から、見るに見かねた飯島さんがのら猫への「給食定期便」を始めたというのです。
銀座の猫の物語……“銀恋”ならぬ“銀猫”、いい話ですねえ。でも長くなったので、以下次回。(真之介)
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