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コンビニ「ローソン新富町店」のビル新築工事にともない、新富町会事務所のある桜橋南西児童遊園に一時避難していた消防地蔵尊が古巣(新富1-7-3)に戻ってきたのが7月。
なぜ、こんなところにお地蔵様が? 消防地蔵って何?
そんな素朴な疑問にお答えするとともに、日々変貌する町の歴史の一コマを記憶にとどめておくため、もう60年以上も前に起きた火事にまつわる顛末を記しておきましょう。
昭和16年(1941)2月13日未明、新富町2-2(当時)の洋家具製造業の木工場から出火、折からの12メートルの烈風にあおられて隣家など7棟が全半焼し、火元の工場で留守番をしていた従業員の少年少女3人が逃げ遅れて焼死するという痛ましい事故が起きました。中でも少女は当時15才、1カ月前に千葉から上京して住み込んだばかり。新聞は4段抜きで大きく報じました。ところが、事はそれだけで収まらなかったのですね。
同年、焼け跡に建てられた京橋消防署の家族寮で、「真夜中になると悲しそうな男女の泣き声がする」「不審な足音がする」といった怪談が広まったのです。そんなわけで、翌昭和17年4月には家族寮が廃され消防署の新富町分遣所として発足したのですが、今度も夜になると薄気味悪い泣き声や物音がするとの噂が……。
そして戦中戦後の混乱期を経て、いつしか噂も立ち消えになっていたと思われた昭和27年、火災出動した京橋消防署の消防車が昭和通りで横転という不測の事故が起きました。このため、翌28年(1953)になって、焼死者の霊を慰める地蔵尊が地元有志によって設立された、というのです。
しかしそこもお地蔵様にとっては安住の地ではなく、二転三転のあげくようやく直下型地震にも負けないような今日の姿になったというわけ。発端となった焼死事件から64年、建立から52年。小さな町の片隅の小さなお地蔵様にも、こんな歴史が秘められているですよ。
・平成6年7月 コンビニ建設にともないストア裏手に移設
・平成16年3月 ビル建て替え工事にともない桜橋南西児童遊園に一時移設
・平成17年7月 ビル竣工により元の場所に鎮座
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