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『バカの壁』やら『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』、さらに『下流社会』から『国家の品格』などなど、今は戦後何度目かの新書ブームだそうですが、『銀座木村屋あんパン物語』なんていう新書が出ているのですね。驚きました。著者は大山真人さん。『ちんどん菊乃家の人びと』という本を書いたのが縁だそうです。(平凡社新書 2001/7刊)
さて、あんパン。
前述しましたが、明治天皇に献上したのは塩漬けした八重桜の花びらを載せたもの。献上品と区別するため、これ以降、一般販売品にはケシを載せたというのですね。
なおまた、天皇に直接勧めたのは鉄舟だが、そのきっかけを与えたのは水戸徳川家10代の藩主、徳川昭武公。東京・向島にあった水戸藩下屋敷への天皇の行幸に際して、接待する茶菓について昭武公から侍従の鉄舟に相談があり、「文明開化にふさわしいもの」として鉄舟が推奨したそうです。
で、それまで「あんパン」を知らなかった公が早速試食、洋行経験のある公が絶賛して本決まりというわけ。時に明治8年4月4日、この日が「あんぱん記念日」ともいうべき日となったのです。

ちんどん屋宣伝隊
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ところで同書によると、木村屋が「ちんどん屋」による市中宣伝のハシリだというのですね。
なんでも木村屋は、男性はフロックコートと山高帽、女性は鹿鳴館スタイルのロングドレスという「パン宣伝市中音楽隊」を明治東京の市中に繰り出したというのです。しかも、楽器の伴奏に合わせて仮名垣魯文作詞という「宣伝句」が独特の節回しで放吟された、とあります。
焼きたて出来立て ほくほくの
木村屋パンを召しあがれ
文明開化の味がして
寿命延びる初物 初物
どことなく、今でも時折見かける「玄米パン」の引き売りを思わせる「宣伝句」ですね。
鉄舟が死んだのは明治21年7月19日、53才でした。で、その葬儀を実務的に仕切ったのがあの清水次郎長。なんでも、葬儀が行われた22日は土砂降りだったのですが、四谷仲町の山岡邸から葬儀の場となった下谷の全生庵まで関八州の親分子分約200余が柩に付き従い、皇居前ではしばし隊列を止め、天皇に別れを告げたとか。 鉄舟と次郎長親分。意外なところで意外な人物の名前が出てきてびっくりですね。これみんな、『銀座木村屋あんパン物語』からの受け売りです。しかし、この次郎長についてさらに調べると、実は次郎長親分は明治維新を契機として侠客を廃業、実業家として地元の発展に尽力。清水の梅蔭寺にある墓の墓銘は榎本武揚の筆によるそうです。
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