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第17回●風流人榎本武揚の紫陽花

 梅雨空の下、紫陽花の季節。
 有楽町駅からプランタンの間の「銀座マロニエ通り」を抜け、昭和通りを過ぎると、今度は青桐に変わった街路樹の根元に紫陽花が咲いています。いつ、誰が植えたものやら、雑然としていて、いかにも下町の路地ふう。
 そんな季節になると、思い出す描写があります。そもそも、このサイトの記事を書き始めるきっかけともなった1冊の本。木村錦花著『守田勘弥』(昭和18年8月、新大衆社刊)の分厚いページの中程に、こんな描写があるのですね。

 築地橋の上から入船町の方を見ると、溶々たる川水が石垣に沿って右折する処に榎本武揚の屋敷があり、紫陽花と薔薇とで垣を造って、庭には風流な茶室などが見えた。此処は島原の名妓小紋を囲って、江戸ッ児釜次郎が、そよそよと吹き入る川風に、浅酌低唱を楽しむ別の世界であったらう。
 夏の夕、涼風の吹き初めた頃から、築地川に灯籠流しが始まる。川浪が月の光に砕けて行く上を、魚や、鳥や、それぞれの形に趣向を凝らした無数の灯籠は、灯影小さく流れのまにまに浮いて行く……、いづれも此の江戸情緒を慕ふて、見物は船に、河岸煮、両国の川開き以上に盛況を極めたもので、明治20年前後には、毎年必ず行はれる夏の逸楽の一つであった。……

 築地橋あたりの往時の情景を、まるで絵のように思い浮かべることができます。
 震災・戦災で破壊されたとは言うものの、高度成長による急速な「近代化」の前には、まだ至るところにそんな風情が残っていたような気がします。築地川が埋め立てられ、高速道路が走り始めたのが昭和37年12月20日。失ったものの大きさに愕然としてばかりもいられないのですね。


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