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第20回●築地警察のこと−その2 漱石もブタ箱のお世話に?

 築地署で思い出したのですが、ある人のサイトを読んでいて、夏目漱石(写真)もまたその留置所に泊まったことがあると知って、驚きました。あの漱石センセイがブタ箱のお世話になっていたとは!

 漱石は下戸で、酒をまったくやらないと思っていたが、時には飲んだようで、ビヤホールで酔いを発した漱石らが騒動を起こして、築地警察の留置所に一晩一緒に留め置かれたのが機縁で寒村、草平らと親しくなるのだった。

 ……『AMAZON』という同人誌に安西宏さんという人が書いていました。
 あわてて、まず『寒村自伝』を拾い読みしたのですが、見つかりません。あるいは漱石の日記にそんなことが書いてあるのでしょうか。
 とにかくそこでは「寒村、草平らと親しくなった」とありますし、平民社は一時期新富町にあったわけですから、時間軸から見て両者の接触は十分考えられます。

 漱石(1867〜1916)は49才で世を去りました。一方の荒畑寒村は長命(1887〜1981)で、1905年、東北伝道行商に出発し、同年10月には「牟婁新報」記者となっているのですが、その後上京し1908年には「平民新聞」の編集を手伝うようになっています。
 また、漱石がビヤホールに通ったことがあるとすれば、英国留学から帰国し第一高等学校および東京帝国大学英文科の講師となった明治36年(1903)から42年(1909)までの間でしょう。なぜなら42年の6月には漱石は胃潰瘍で入院し、その後もこの持病に悩まされ温泉療養をする一方で喀血したりしているのですから。
 とすると、接点は限られてきます。
 新富篇第62回/平民社と新富座(2)でふれているのですが、明治40年1月15日、日刊『平民新聞』創刊時の平民社とぴったり時期が重なるのですね。
 漱石と築地警察の留置場、そして漱石と荒畑寒村ら平民社の人々との交流。興味ある記録が築地署そして京橋図書館の書庫に眠っているのでしょうか。(あるいは漱石や寒村の研究者にとっては自明の事実? どなたかそのへんの事情をご存じでしたらお教えください)


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